【銀行員夫婦 → 移住】自分たちの居心地の良い場所で暮らせる働き方へ|石川景規・妙子

それぞれ銀行に勤めていた、ごく普通の夫婦。

当たり前や普通と言われる価値観に疑問を感じながらも、やりたいことへ一歩踏み出せずにいたふたりは、2015年1月より世界一周の新婚旅行へ出発しました。

2016年5月末、500日間の世界一周の旅を終えたふたりに、世界を旅した今だからこそ見えてきたこと、帰国した今はどのように働き、暮らしているのか、この『Traveled,』を立ち上げた背景をお伺いしました。

石川景規:
1987年東京生まれ、東京在住。大学卒業後、地方銀行に入社。5年半の勤務を経て、実家の八百屋の経営に携わったのちに、2015年1月に世界一周の旅に出る。現在、ライター、Airbnbの運営しながら、2017年5月より長野と東京の二拠点居住をはじめ、8月より長野へ移住。
石川妙子:
1987年横浜生まれ、東京在住。大学卒業後、大手銀行に入社。4年半の勤務を経て、自由大学の運営に携わったのちに、2015年1月より世界一周の旅に出る。現在、旅行会社のインバウンドメディア、IT企業オウンドメディアなど、ウェブメディアのライター・編集をなりわいにしている。2017年8月より長野と東京の二拠点居住をはじめる。趣味はカメラとフレンチブルドッグのちゃも。

石川夫妻のブログ

 

元銀行員夫婦が安定を捨て、世界一周の旅へ出るまで

-まずはじめに、旅へ出るまでふたりはどんなことをしていたのですか?

景規:大学を卒業してから、地方銀行に5年半ほど勤めていたんです。転勤のない安定した企業に就職したくて、地方銀行を選んだくらい、かなり安定志向な人でしたよ。性格も暗かったし(笑)、リスクのあることはしたくないって思っていましたね。

ー安定志向には全然思えないですよ(笑)!旅へ目覚めたきっかけはなにかあったのですか?

景規:今までの人生であまりチャレンジってしたことがなくて…。大学卒業前に参加したカンボジアのボランティアツアーが人生最大の冒険だったんです。その時にカルチャーショックというか、自分が経験してきたことの幅の狭さに気がついて、そこから海外を意識するようになりましたね。

その時はすでに就職先が決まっていたから、そのまま就職しちゃったけど…。

ー妙子さんは、旅に出るまでどんなことをしていたのですか?

妙子:実は、私も銀行で働いていたんです。お金が貯まったら、オーストラリアで暮らしたいな〜!なんて、妄想をしながらゆるゆると銀行員時代を過ごしていました。初めて1人でオーストラリアに行った20歳のときに「この人たちは、なんて楽しそうに生きているんだろう」って衝撃を受けたんです。そのときから、自然と海外を意識するようになっていましたね。

ーお互い学生時代から、海外は意識していたんですね。

景規:ぼんやりとでしたが、いつかは世界一周に行きたいな〜と思っていました。僕はいわゆる”普通の人”で、なんの特徴や特技もなかったので、”何か”を成し遂げて、自分の世界を語れる人になりたかったんです。「旅」をきっかけに自分が大きく変われると信じていたんでしょうね…今思うと甘酸っぱい(笑)!

-でも、なぜこのタイミングで旅に出たのでしょう?

景規:銀行の仕事は好きだったけれど、会社と自分の考えの溝が、日を追うごとに深くなっていって、このまま課長になり、部長になり…という自分の将来像に違和感を感じていたんです。「このままやっていくしかない…」「仕事は続けるべきだ…」と思っていたときに、旅をテーマにした写真教室で妙子さん(妻)と出会って、考えが変わり始めたんです。

妙子:付き合ってすぐの頃に、いきなり「世界一周に行きたい!」って相談されたときは、びっくりしました!世界一周は考えたこともなかったし、当時の旦那は今からは想像できないくらい、超真面目な銀行員だったので(笑)!

景規:そうそう。勇気を出して、世界一周の話をしてみたら「え〜いいんじゃん!楽しそう!私も行きたい〜!」ってすごい軽い感じで言われて(笑)。え、こんな感じなんだ!って驚いているうちに、どんどん話が進んでいって…。

いずれ結婚も考えていたので、急いで両親に挨拶に行って、7ヶ月後には籍を入れて、ドタバタでした。両親への初めてのご挨拶が、結婚します!退職します!旅に出ます!ってなかなかでしょ(笑)!

妙子:ふたりとも同じ業種で働いていたこともあって、似たような問題意識や価値観を持っていたし、関心のある軸がすごく近かったので、一緒に旅に出ることに不安がなかったのかもしれないですね。わたしもちょうど銀行をやめて、長期で海外に行ってから次のことを考えよう!と思っていた頃だったので、ちょうど旅をするタイミングもよかったんですよね。

 

旅を終えて、最後に残ったのは”自分”だった

-帰国してから1年が経ちましたが、夫婦で旅をしてどうでしたか?ふたりの関係になにか変化などありましたか?

妙子:旅をしているときは、3日に1回は喧嘩していたんです(笑)!でも帰る場所も、家族も友人も近くにいないので、隣の旦那と自分と向き合うしかないんですよね。こうやって、何度も向き合ってきたからこそ、今はこの人なら大丈夫って信頼できているんだと思います。

景規:お互い弱い部分をさらけ出しているので、より深い関係が築けたと思っていますね。僕にとってこの旅は、お互いの”素の自分を知るきっかけ”だったと思っているんです。

日本にいると、世間体や親のことを気にしたり、いろんなものにブロックされて、こうするべき!という価値観が多いけれど、旅に出るとその積み上げてきた価値観や自分がいなくなって、魂が解放されたように、素の自分がどんどん出てくるんですよね。

旅は、絶景においしい食事にお土産に!って部分が注目されがちだけど、自分を誰も知らない環境、素の自分になれる環境に行けることが大きな魅力だと思っています。

ー景規さんは、旅に出て変わりたい!という思いがありましたよね。実際、おふたりは旅に出て、自分自身が変わったところはありましたか?

景規:結局、最後に残ったのは”素の自分”でした。でも、旅をしながら余計な部分が削ぎ落とされたから、周りを気にしたり、比較するのはやめて、”自分に素直になろう”って思うようになりましたね。それが一番、変わったことかな。

妙子:今までは自分のやりたいことばかりに注目していたけれど、今はこれからどんな暮らしをしたいか?そのためにどうすれば、理想の暮らしに近づけるかみたいな、”暮らし”が考えの中心になったのは大きな変化でしたね。

 

帰国して1年、これからは長野へ移住!?

-今はどんなことをしているのでしょうか。

景規:今は東京と長野の二拠点生活をしているのですが、”自分たちの居心地の良い場所で暮らせる働き方”を目指して動いています。今年の5月から長野県の飯島町で、町が移住者向けに提供しているトレーラーハウスに3ヶ月間住んでいたのですが、8月から本格的に移住することにしました。

この町の農産物の販路拡大に関わる仕事をしながら、古民家をリノベーションする予定です。築100年の蔵と畑の付いた古民家を地元の人から借りることができたので、みんなが農業や田舎暮らしを体験できるような空間をつくっていこうと思っています!

帰国してからずっと次の一歩目に悩んでいたので、できるかできないかを考えたり、これ以上悩んでも何も生まれないので、あとはやるしか選択肢がないですね(笑)。今は、ようやく自分が納得できる”理想の暮らし”に向けて動きだせているところです。

-その”理想の暮らし”とは具体的にどういったことなんでしょう。

景規:僕にとっての”理想の暮らし”は2つの要素があるのですが、まずは、自分たちの居心地のいい場所で暮らすこと。これは、旅中にもよくふたりで話していたことですが、居心地がいい場所にいるだけで幸福度って上がると思うんです。だから、”暮らす場所”ってとても大事だなと思っています。

それからもうひとつは、消費するだけではなく、”つくる” ことを大切にしたいということ。会社員時代は消費することや、生活基準を上げることが暮らしの中心でしたが、旅を経て、消費し続ける社会には魅力を感じなくなりました。これからの僕らの世代の暮らし方の一つのロールモデルになれたらいいですね。

妙子:わたしたちは、ガラパゴス諸島から500日ぶりに東京に帰ってきたんですが、ビルに囲まれた久しぶりの都会がとにかく怖かったんです。みんな急いでいるから人にはぶつかるし、朝の電車とか泣きそうでした…(笑)。東京は刺激に溢れていてすごく好きなんですが、ここでずっと暮らして子どもを育てていくイメージがあまりできなくて…。帰国してから移住は意識していましたね。

それに、旅中も毎日のように”暮らす"環境が変わっていたので、その経験があったからこそ自分たちが暮らしたい環境がなんとなくわかってきた気がしています。

ちょっと自然があるような程よい田舎で、自分たちがのびのびしていられる空気のきれいな場所。周りの人との距離も遠すぎず、近すぎず、都会からもあまり遠くない場所。今日は天気がいいから公園でお弁当を食べに行こう!って家族で一緒に行けるような働き方とか…理想ですね!

 

自分たちらしい納得できる”理想の暮らし”へ

-帰国してから長野へ移住するまでの1年間は、どんなことをされていたのでしょうか。

妙子:わたしは旅に出る前から興味のあった、ライターや編集の仕事に携わりたくて、まずは未経験OKのインバウンドメディアの編集部で、帰国後1ヶ月くらいからアルバイトをしていました。今は複数のメディアでライターや編集の仕事をしています。

一度やってみて、好きだったら続ければいいし、違うと思えば次にいけばいい。そんな感じで始めたら、楽しかったので続けていますね。なるべく、場所にこだわらずにできる仕事を選んだのも理由です。

景規:僕は旅に出る前から、帰国したら自分で事業をしたい!という想いはずっと持っていたんです。でも、これをやりたい!という具体的なものはなく、やりたいことがわからなくて…。でも、わからないまま進みたくない…みたいな負の連鎖で、帰国してから一時期、精神的に落ち込んでやばかったです(笑)。世界一周をしても自分のやりたいことは見つからなかったですね。

とりあえず、やりたいことが見つかるまでは、なんでもいいから働こうと思っていた時期もありましたが、はじめから自分で事業をした方が”理想の暮らし”には早く到達できるのかなと思い、やりたいことを探し続けていました。

具体的には、場所を借りてカフェ営業、Airbnbの運営やこのメディアの立ち上げ、ライターの仕事などを知り合いを通じていただいたり、起業したい人のコミュニティにはいったり、人に会いに行ったり、思いついたビジネスアイデアを聞いてもらったり…。とにかく興味のある人に向けて動いていました。

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-長野に移住しようと思ったきっかけはなんなのでしょう。

景規:たまたま夫婦の共通の知り合いがこの町に移住をしたので、遊びに行ったらすごく居心地のいい場所だったんです。それに、世界一周中で印象に残っている光景と、この町の広大なアルプスの光景がとても似ていて気に入ったというのも大きな理由ですね。他にも町の必要としていることと、自分のやりたいことがマッチしたことや、いろんなタイミングが重なったことが大きいです。

妙子:祖母の実家が近いこともあり、不思議な縁を感じたということもあります。あとはここなら、夫婦で仕事ができる環境が整っていて、理想の暮らしに近づけるのではないか、と直感で思ったからですね。

 

”自分らしい選択肢を選んでいい”ってことを伝えていきたい

ー最後に、この「Traveled,」を始めようと思ったきっかけを教えてください!

景規:本当にシンプル。長期で旅した人が帰国したあとに、どんな仕事をして、何を考え、どんな暮らしをしているか知りたかったからですね。「旅っていいよ!」って背中を押すものはたくさんあるけれど、帰国後の情報が少ないと思っていて。自分たちの旅から得た経験を僕たちらしい形で活かしたいと思っています。

もちろん旅は好きなんだけど、帰ってきたときの苦しさとか辛さってあまり表に出てこないように感じていて…。本意ではない選択肢を選ばざるを得なかったり、新しいことを始めたくてもハードルが高かったり、一度日本を離れて、違う波に乗ってしまうと、再び日本で出発するのは難しいと体感したので、自分たちが欲しかったメディアを立ち上げることにしました。

景規:それに、旅に出ると1人で過ごす時間が増えるんですよね。すると、自分がどこにいるのかわからなくなってしまうことがあると思うんです。そんなときに、このメディアで紹介されている人を知ることで、”あなたが選んで進んできた道は間違っていないんだよ”と自分の立ち位置が再確認できるのではないかと思って。このメディアでは、選択肢を広げるのではなく、”自分らしい選択肢を選んでいい”ってことを伝えていきたいですね。

妙子:実際に長期の旅から帰国した人は、解放された自分を日本の流れに合わせようと無理に軌道修正したりしたり、苦しみながらもがいている人も多いと思います。せっかく視野が広がったのに、そこで選択肢を狭めるのはもったいないですよね。

あとは、旅に出たいけど、旅後の暮らしに不安を感じて旅に出ないのはもっともったいない。この人はこんな方法で、旅を終えて暮らしているよ!っていうのをもっと伝えていきたいですね。

かみむら なおと
1986年生まれ、神奈川県在住。大手物流企業を退職し、2014年8月から2016年7月まで、夫婦で世界一周の旅へ。気になるところへ思いのままに飛び回り、旅した国は70カ国を超える。帰国した今は再び会社員へ戻り、湘南の端っこ二宮町に移住。日々の暮らしを楽しもうと模索中。

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