【高卒ワーホリ → 移住】好きな場所・好きな人・好きなことをもっと近くに|鏑木将平

高校卒業と同時に18歳でオーストラリアへ。計4年間の海外放浪を終えて、2016年に帰国。世間の「あたりまえ」に疑問を持ちながらも、納得できる道を探し求める若者。

彼に旅のこと、旅を終えたいまの働き方や今後のことについてお話をお伺いしました。

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鏑木将平:
1992年生まれ。高校卒業と同時に海外へ。計4年間の海外放浪生活を経て2016年に帰国。現在はウェブデザイナー・ライターとして活動しながら、地方への移住の道を模索している。好きな国はグアテマラ。またそのうち長期の旅に出る予定。

 

世の中の”あたりまえ”にとらわれず10代で海外へ

ーまずは旅に出るまでのお話を聞かせてください。10代で海外へ行かれたのですか?

鏑木:はい、そうですね。高校を卒業してからオーストラリアに1年間、ワーキングホリデー(以下:ワーホリ)に行っていました。帰国してからは、ゲストハウスや飲食店で1年ほど働いて、アジア周遊の旅を1年くらいして、そのあと2回目のワーホリでカナダへ行きました。ワーホリが終わり、アメリカ・中米とカナダから南下し、グアテマラから帰国したんです。

ーずいぶん長いこと海外で生活していたんですね。18歳でワーホリに行こうと思ったきっかけはなんなのでしょうか?

鏑木:僕の通っていた高校は、大学に行くのが当たり前の環境でした。でも、なぜみんなが揃って、大学に行かなきゃいけないのか?と、ずっと疑問に思っていました。そんな中で"とりあえず"大学に行くという選択肢を取りたくなかったんです。

だからといって他にやりたいことがあったわけではないので、進路について調べていくうちに”海外”という選択肢が出てきたんです。特に、大きな目標や語学力があったわけではなかったんですけどね。人生初海外でしたし。

ーそれって、すごい決断ですよね。ワーホリに行ってから、旅に興味を持ったきっかけはなにかあったのでしょうか。

鏑木:オーストラリア周遊中に、初めてフランス人の「バックパッカー」に出会ったんです。そのときは、バックパッカーっていう単語も知らなかったし、ゲストハウスのことも知りませんでした。

彼が「あんなところに行って、次はここに行きたい…」みたいな旅の話をたくさんしてくれて、旅に興味を持つようになったのがきっかけですね。

ーそれで、それで、ワーホリを終えてからも旅に出たのですね!

鏑木:本当は世界一周するつもりでで旅立ったんですけど、結局アジアしか周れなくて…(笑)。

ラオスのバンビエンという町に行ったときに、「僕がしたいのは世界一周じゃないな」って思ったんです。それまでは、次の予定を決めながら旅をしていたのですが、バンビエンが忘れられなくて、わざわざルートを変更して戻ったことがあって。

そのときに、”滞在したいと思った場所に好きなだけ滞在して、やりたいとことをする”そんな旅がしたいことに気がついて、旅に対する考え方が変わりましたね。

 

そのときの自分に正直に従うバックパッカーの旅へ

ーそれから帰国するまで、どんな旅をされていたのでしょう?

鏑木:旅に出ると、行きたいところが増えてしまって…。だから、もう一度英語を勉強しながら、お金を貯めて、旅に出ようと、カナダにワーホリに行きました。カナダでは1年間お金を貯めて、その後アメリカ、メキシコと南下して旅を再開していったんです。

久しぶりの一人旅が寂しかったので、アメリカのポートランドでは、“Need FRIENDS!(友達が必要だ!)”という看板を持って広場で座っていたりしていましたね。

ーん?どういうことでしょう…?

鏑木:道端で「Need FRIENDS」と書いたダンボールを持って友達を作っていたんです!

ーええ、言っていることはわかるんですが(笑)。なぜその……道端で?

鏑木:僕、すごい人見知りなんですよね。道端で全く知らない人に声をかけるのは難しいし、自分から声をかけると「あ、この人いけそう!」って、選んじゃうじゃないですか。声をかけてくれる人ってどこか自分とシンパシーを感じる人だったり、何よりそういう偶然性があったほうが楽しいかなと思って。

1時間で10人ぐらい話しかけてくれましたよ。その場で誘われたら、一緒に遊び行ったりしてましたけど、めっちゃ怖かったですね(笑)。

ーす、すごい…。どんな人が声をかけてくれるのですか?

鏑木:声をかけてくれる人は、ホームレスが多かったですね。すごく優しくて、もちろん「お金くれ」なんて言いません。それどころか、一緒にバーやカフェに行って奢ると言っても頑なに自分で払おうとしてくれました。「あなたはこの街のゲストだから」って。

ここ数年でポートランドのビールやコーヒー、先進的な取り組みがピックアップされて流行っていますが、実は他の街と比較してもホームレスが多い街です。行く、見る、話す、聞く。実際に自分の体で経験することがいかに大切かを感じる瞬間でしたね。

ーそれから旅は変わっていきましたか?

鏑木:行きたい場所に好きなだけ滞在する旅をしていたんですが、グアテマラで、ちょっと事件があって。

ーどんな事件なんでしょう…?

鏑木:クリスマスイブの日に宿の2階から落ちて、足を骨折してしまってて(笑)。病院もないような小さな村だったので、湖を渡って病院に行き、すぐに入院しました。一応、グアテマラで手術もしたんですけど、完治しなくて、日本で治療するために帰国したんです。

それに、グアテマラの病院は松葉杖もないんですよ!なので、宿の友人に木で松葉杖を作ってもらったり、リハビリをしながら宿で料理当番をしたりしていたんです。

 

もっとリアルな世界に生きたい

ー実際に就職の道を選ばずに、高校卒業と同時に海外に行ってどうでしたか?

鏑木:18歳から海外にいると、どこに行っても周りが年上の人ばかりなんですよね。色んな経験をしている年上の人から学ぶことは多いです。日本にいたら出会えないような人や経験を若いうちにできてよかったなと思っています。でも、もし日本で就職をして世間の荒波に飲まれてから海外に出たら、また見える世界もやり方も違っただろうなと思うこともあります。

ー海外に行く前と行った後で変わったことはありましたか?

鏑木:良い意味で、”人目を気にしなくなった”ことですね。18歳でオーストラリアにワーホリに行った理由は「他の人と違うことをしたい」だったんです。でも今は、他の誰が何をするとか関係ないと思えるようになりました。

つまり、自分が何をしたいかにフォーカスを当てられるようになりましたね。外に目を向けるのも大事だけど、そこからもっと自分の内に目を向けて自分自身を探求したいって思うようになりました。

あとは、グローバルな人間になりたいとか、世界中に友達がほしいとかじゃなくて、もっと身近なところに居心地のいい場所や仲間がほしいって思うようになりました。今やインターネットで何千キロも離れた友人や家族と話すことができるけど、“もっとリアルな世界に生きたい”って旅をしたからこそ感じるようになりました。

 

“2ヶ月の空白期間”を終え、新たな第一歩へ

ー日本に帰る前は、帰国後のことについてどう考えてましたか?

鏑木:地方に移住したいというのと、日本を周ってみようかなと漠然と考えてましたね。あまり不安は感じてなかったです。それに、足の手術もあったので、ヴィパッサナー瞑想に行ったり、手術後は熊本震災のボランティアをしたりしていましたね。知り合いがボランティアを受け入れていたのをきっかけに、2ヶ月ほど熊本にいました。

その後ヒッチハイクで埼玉まで戻ってきたんですが、なかなか次のことが決められず、2ヶ月ほど空白の時間を過ごしていました。それからいまはライターの仕事とウェブデザインの学校に通って勉強をしています。

ーその”2ヶ月の空白の時間”とは…?

鏑木:選択肢が多すぎて、次の一歩目がなかなか決められなかったんです。やろうと思えば何でも挑戦できるし、興味のあることも山ほどあります。就職しても、新しくことを始めても、また旅に出てもいい。あまりにも選択肢が多すぎました…。でもその中でこれだ!という特別なものがなかったのと、あとは、ひとつを選び取る勇気がなかったのかもしれないです。

ーそんな中で、webデザインを勉強する道を選んだのはどうしてなのでしょうか?

鏑木:僕って器用貧乏というか、ある程度いろんなことがはすぐにできるようになるんですが、極める事ができないんです(笑)。何かを継続したり、1つに集中することが苦手なので、だったらいろんなことに挑戦して、幅広いことを同時にやっていきたいと思うようになりました。

それに、自分はプレイヤーよりサポーターの方が向いていると感じているので、自分で何かをはじめるよりも、何かをやっている人の想いに共感して、その手助けになるような仕事がしたいと思っています。

webデザインもライターもパソコン1つでどこでも作業ができるので、自由に動けるというのが魅力的ではありましたが、それをメインの仕事にするというより、誰かをサポートする手段のひとつとして勉強し始めましたね。

ーなるほど。ちなみに、その学校はどのように選んだのでしょうか。お金もかかりそうですね…。

鏑木:専門学校に通ったら、50万〜100万ほどかかると思うんですが、もちろん、そんなお金は手元になかったので、職業訓練に通うことにしたんです。職業訓練は、無料で受講できて、経済状況によっては給付金ももらえるんですよ。雇用保険の受給期間も関係ないので、長期旅行を終えて帰国した人にはとってもおすすめです。

ー先ほど、地方移住の話もありましたが、移住と言う選択肢を取らなかった理由はなにかあるのでしょうか。

鏑木:当時は自分が地方へ行ってもできることが限られると思っていました。仕事の経験はほとんどないしスキルもないので、地方でやっていく自信もなかった。だからwebデザインやライティングのスキルを学んだあとに行こうと思ったんです。

ーでは、まだ地方移住という選択肢もあるんですね。

鏑木:そうですね、学校が終わり次第移住するつもりです。実はいまお世話になっているWeb制作の会社から、今後も働かないかという良いお話をもらったんですが、悩んだ上でお断りしました。

ーえ!なぜそのような決断をされたんでしょうか。

鏑木:もっと経験を積んだり、スキルを身につけたほうがいいかなってとても悩んだんですけど、準備ができていないことを口実にしていたら、いつまでたっても何もできないし、学校に通う前の状況と変わらない。だったらとりあえず行ってしまおうって。

移住というと、その地に根を張って一生暮らすというイメージがありますが、そんなに重く考えていなくて、住んでみて違うと思ったらまた別の場所へ行けばいいかなと思っています。また東京に戻ってきてもいいし、旅の延長ような感じでツッパらずにしなやかに生きたいですね。どちらにせよ、また長期の旅に出たいとも思っています。

ーなぜそこまで地方移住にこだわるのですか?

鏑木:そうですね。1人になって物思いにふけったり、オンオフを切り替えられる場所が身近にあったらいいなと思っています。それも、ふっと思い立ったら行ける距離っていうのが大事。そういう場所を作ったり、確保するのって、やっぱり東京よりも地方の方がいいのかなと思っています。

住む場所が地方である必要もないんですけど、好きな場所・好きな人・好きなことがもっと近くにあるような環境に住みたいっていうだけなんですよね。あとは知らない土地に行きたいとういう旅人の性ですかね(笑)。

ー最後に、この「Traveled,」に参加した理由はを教えてください!

鏑木:自分が知りたいというのが大きな理由です。社会的地位のある人や成功している人の話は、いまいち現実味がないんですが、僕らのような旅人の話ならもっと聞きたいと思って。自分と心の距離が近い人が、旅後にどんな経緯で何をしているのか純粋に知りたいですね。

旅から帰ってきてやりたいことがあっても、実際は行動に移せない人も多いと思うので、なにかを始めようとしている人を応援したい思いもあります。

あとは、旅がいかに素晴らしいものかを広めたいですね。自分も未だにいろいろ悩んでいるけれど、旅に出たことを後悔する人は聞いたことがありません。それぞれ仕事やこれからの人生に悩んで旅にでる、帰ってきてまた悩む、それもまた旅の楽しさだと思います。旅で得たものとか価値観が変わったとか、そういう損得じゃない、もっとリアルな旅の良さを旅後の生き方を通して知ってほしいですね。

旅をしてる時間も大切だけど、帰ってきて旅を振り返る時間も大切ですよね。旅を経て変わった価値観に目が向きがちですけど、旅をしてさえも変わらなかった価値観ってこれからの自分の芯となる大切なものだと思います。

そうやって帰国後に自分の心を整理した時間は、素晴らしい時間でした。日本に帰ってたからこそ気づくこともたくさんあるので、ぜひ旅を振り返る時間を作って欲しいですね。たぶん僕は、自分自身について考えることや探求することが好きなんです(笑)。

 

石川 景規
1987年生まれ、東京在住(2017年8月より長野へ)。大学卒業後、地方銀行に5年勤務。結婚した半年後、2015年1月から500日かけて世界一周の旅へ。2016年5月末に帰国し、2017年8月から長野県上伊那飯島町で町の農産物の販路拡大と、古民家リノベーションのプロジェクトをスタートする。

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